未分類

【東日本大震災から9年】災害から学ばなければならない理由

今日で東日本大震災から9年が過ぎた。私は仙台市在住で、あの大きな揺れを生で体験した。

当時は高校の卒業式の直後で、私は大学受験において浪人をする選択をして自宅で勉強をしていた日だったと思う。揺れが発生したときはベッドの上にいた。昼寝でもしていたのだろう。細かくは覚えていない。

とにかく揺れている時間がめちゃくちゃ長かった。1分くらいはすごいビビっていたが、それ以降は慣れてしまったのか、すごく冷静だった。「これ死ぬんかな」みたいなことを落ち着いた心で考えていた。

横に大きく揺さぶられるタイプの揺れで、勉強机が大きく揺れたせいでカーテンを止める紐がかかっているフックが壁から取れて吹っ飛んできた。後は本とかが床に落ちたが、自室での被害はそんなものだった。家が崩れることはなかったし、窓が割れたりもしなかったので、「うちって結構丈夫なんだなー」と思った。

自分の部屋から出てみても、階段が外れていたり、物がたくさん落ちていたりはしたが、大した被害はなかった。電気がつかない日が続いたのが困ったくらいだったかな。

しかし、場所によってはとんでもないことになっていた。海辺のほうでは津波によって建物が流され、大量の死者が出た。実は我が家の割と近くまで水が来ていたらしく、私の知らないところで危機一髪だったようだ。

私たちは震災から多くの学びを得なければならない。そうしないと、亡くなっていった方々の魂も救われないというものである。「ただインフラや建物が元に戻っただけ」では、亡くなった人や、生き残った人の心の傷の分だけ損失である。いろいろ学んで伝えて、将来的な人的・経済的損失を抑えるなど、全力で被害から利益や知恵を創造しにいくべきだ。

最近は地球環境が平常ではなくなってきている。地球温暖化は進行を続け、自然災害は量質ともにひどくなってきている。大きな災害に見舞われる可能性は増加しているのだと思う。

自然災害が多発すると、食料不足になる。それに対し、世界的に人口は増え続けているので、いずれ食糧危機が起こる可能性がある。南海トラフ地震近い将来発生するとも言われている。我々が再び東日本大震災級の災害に見舞われるのも案外近いのかもしれない(現在進行形で猛威を振るう新型コロナがそうであるとも言えるかもしれない)。

人生100年と言われるこのご時世、私は生まれてから死ぬまでに2~3回くらい一撃必殺級の大災害に遭遇するという事が当たり前になってくると思っている。そうなってくると、実際に発生した災害から多くを学ぶ必要性が出てくるだろう。そうした中で、実際に災害に見舞われたときのための、サバイバル精神を身につけていかなければならない。

自分が被害にあっていなくても、ニュースを見たり、歴史から学んだりして、日本や世界の、古今東西の災害から学んでいこうではないか。現在も新型コロナウィルスが猛威を振るっているが、これも学びを得るべき災害のひとつである。